明らかに目の前に居る男の表情が不機嫌である。
そして自分は、その男の姿に、少し動揺していると感じていた。

「ふぅ〜。これで目立たない」

とりあえず、歩いているだけで『ガリュウ』と分かるあの、紫色のスーツやら、臍がチラつくシャツなどを、通常のサラリーマンが着るような、灰色の地味な物に着替えさせ、髪型も前髪を上げてオールバックにしうえで、癖の強いドリルヘアーも纏め上げた上で、ウィッグの中へ隠しこんだ。
潜入捜査の多い、公安課のスペシャリストに頼み込み、響也を物の見事に、どこにでも居るようなビジネスマンに変装させたのだ。

「ついでにこれもかけてくださいね」
と嫌味なほど楽しげに、銀縁眼鏡を差し出してきた事務官を、恨めしそうに響也は見つめ、無言で「それを掛けなきゃならないのか」と、射殺すほどに睨みつける。

「伊達ですよ。ダテ。偽者ですから」
「それでも嫌だよ。めがねなんて…」
「………やっぱりお兄さんと瓜二つになるからいやなの?」

 茜がポツリと告げた言葉に、響也が固まった。

「…いいよ別に、それで変装が完璧になるって言うなら、眼鏡くらいかけるさ」

 もう半ばやけを起こした彼は、そう言って事務官から眼鏡をひったくると、自ら眼鏡をかけ、鏡に映った自分の姿を見て、うな垂れた。

───…弁護士になりたての頃の、アニキにソックリじゃないか…。

 唯一違うのは、髪が短い事くらいだ。
 そしてこの時、自分がまだ、本当の意味であの事件から立ち直れて居ない事を痛感した。

 だからだろうか。
『日本に残る気があるのなら』
 と、最後通告のように突きつけられた、あの条件に、未だに返事が出来ていないのは…。

 あれらの事件の後、自分があそこに残っていられるのは、それについての返事を先延ばしにしている事と、それともう一つ、ガリューウェーブの人気に胡坐をかいていた輩が居たからだ。

 そう、トップクラスと呼ばれるエリート集団は、ガリューウェーブの人気を利用して、良い思いをしていた事もあり、身内が不祥事を起こしたからと言って、「はい、じゃあね」と、トカゲの尻尾切りのように簡単に、放り出したり、左遷したりは出来ないのだ…。

─── そう、響也のおかげで金を稼いでいた人間が、あまりにも多いから…。

「………そこまで落ち込むなら、良いですよ、眼鏡はかけなくても…。
 ちょっと、いじりたかっただけですし…」

 事務官はサラリと響也に嫌がらせをしていた事を告白し、眼鏡をはずしてやると、「さて」とばかりに、資料を響也に手渡して、茜にも必要最低限の物を渡す。

 公判を明日に控えた事件なので、帰ってから調書を取っても間に合わないため、異例だがこちらで調書を取る事となり、ここへ向かう道すがら、駅前通の見事な飾り付けに見とれ、現在に至る。

「でもよく考えてみれば、もうお祭には行かないわけだし、こんな格好しなくても良くない?」
「いえ。貴方がガリュウウェーブのガリュウと知れると、後々面倒な事になるので、裁判が始まるまでは、その格好でいてください。
 法廷は何者も犯すことのできない、絶対領域で、軽はずみな発言も許されませんから」

 ニッコリと笑みを浮かべて言った秘書官に、「そう」と、引きつった顔を向けながら、響也はそう答えた。

 そしてさほど、時間を置かずに彼は何故、変装をしなければいけないのかの意味を知る。


************************************************


 男の容疑は、殺人だ。
 殺した理由は───恋人が、他の男に現を抜かしたから。

 しかもその相手は───…。

「冗談じゃない!!」

 取調べを終えた後、男は憤慨し、そう叫ばずにいられなかった。
 そして、一緒に着いて来た女は、笑いを堪えるのに必死で、それでも蹲って腹を抱えている。

「刑事くんもそこまで笑う事はないだろう。
 どうしてぼくが、顔も見た事のない女の人のせいで、逆恨みをされなくちゃいけないのさ!!」

 響也が変装をさせられた理由は単純だ。
 単にファンが響也に夢中になっただけで、勝手に彼女を取られたと逆恨みし───しかも、勘違いから、彼女を殺害した───素行の悪い男に、ソイツに会ったら、『八つ裂きにした上で、コロしてやる!』と、連呼されていたからだ。
 しかもその男の性質が悪いのは、自分が彼女を殺したのは、その男がいけないと、責任転嫁までしている事だ。

 そして茜は、別に逆恨みをされた彼が面白いのではない。
 一見すると有能なビジネスマンに見えるのに、あのジャラジャラした格好をしていなくても、子供のように怒る仕草や、愚痴を言う姿は、まんま“牙琉響也”で、そのギャップがおかしくて、笑いが止まらないのだ。

「まあ、笑いたいお年頃なんでしょう。
 それよりも、引渡しやその他諸々の手続きは、私の方で済ませておきますので、お二人は少し、七夕祭でも見学されてきてはいかがですか?」
『え!?』

事務官の思いがけない申し出に、響也は意外そうに、茜は我に返って、その一言を声を揃えて発した。

「だって、君一人で大丈夫なの?」
「大丈夫ですよ。
 少なくとも、不本意な怒りを買ってピリピリしてる検事や、笑い上戸の刑事が傍にいるより、一人で手続きを済ませた方が早く終わりますから。
 それに、気になっているのでしょう?
 あの優美な七夕祭の飾りが…。
 露店も出ているようですし…」

 人間素直になった方がいいですって。と付加えると、飛行機の時間と待ち合わせ場所を伝え、さっさといきなさいよ、とばかりに、二人の背中を押して、警察署から放り出し、そして、その背中に、
「あと。私の変わりに、萩の月と笹かまぼこと、大吟醸を買っておいてくださいね!!」
 そう声をかけた。

 確かさっきは、日本酒としか言っていなかった様に思うのだけど…。




←Back|Next→