心臓に悪い。

 さっきから心臓が、ドキドキと激しく波を打ち、耳の中でもドクドクと、脈の音がうるさいほど、血流が激しい。

────…落ち着け!冷静になりなさいよ、この男はこう見えても、アンタの大嫌いな牙琉響也なのよ!!

 さっきまでは、普段の彼と、着飾った姿とのギャップに忘れていたが、二人きりになると、パリッと、背広を着こなしている彼の姿を見た瞬間の、あの動揺を思い出してしまった。

「あれ?刑事くん。熱でもある?」

─だから、あんたはそんな格好をして、素で話しかけて来ないでよ!!
「熱はありません!!」

「嘘。顔が真っ赤だよ?」

 大丈夫と差し出された手を、茜は「大丈夫ですから」と跳ね除けた。

「………ねえ。前にもこんな風景なかった?」
「さあ。覚えてません」
「…刑事くんってさ、弁護士の言う事は素直に聞くよね。
 確か前にこんな事があった時も、ぼくの忠告は無視して、途中からやってきたアニキの言葉は素直に聞いたんだ」
「別に弁護士じゃなくとも、尊敬できる人間の言葉は、素直に聞きます」

 そこで響也からの応酬が止んだ。
 そのため、茜は自分が失言した事に気がついたが、詫びの言葉などを言う気は毛頭無い。

「そうだよね。ぼくはなにせ、刑事くんの上司だけど、一歳年下だしね」
「な!今はそんなこと言ってないでしょ!!」
「でも心のどこかでは思っている事だろ?
 自分より年下なのに、物知り顔で偉そうな事を言う、ナマイキ奴だ。って」

 息を飲み込む。
『そりゃ思うわよ』
 そう言おうとしたのに…。

「………別にそこまで思わないわよ。アンタの事なんて。
 どうしてそこまで思われてるって、自惚れる事ができるわけ?
 いい、あんたの言葉は私にとって、命令以外の何物でもないのよ。
 プライベートで会ってるわけじゃないし、仕事だけでの付き合いでしょ?
 能力と地位の差の問題なんだから、別に、ナマイキとかそんな事思わないわよ。普通」
「どうして茜さんはさ、ぼくといると嘘が先に口をつくわけ?
 毒はいいよ。それは本心から出た言葉の一部だから。
 でも嘘をつかれるのは辛いよ。自分がそう言わせてる部分があるからさ…」

───嘘じゃないもん、憎まれ口と強がりだもん。

 そう口にした所で、結局、響也の言う所の“嘘”と変わりはない。
 素直な一言を口に出来るとしたら…。

「うるさい、黙れ!勝手に人のファーストネーム呼ぶのもやめてよ!気持ち悪い!!
 だいたい、アンタがいつも私の事を、おかしくするんでしょ!!」

 もうだめだ。
 酸欠でめまいを起こしそうだ。
 だって今のこの人は、いつもの彼とは違うから…。

「別に顔が赤いのだって、太陽の日差しで、日焼けしたせいよ!!
 こんな恥ずかしい事、女の口から言わせるな!!ばかぁ〜!!」

 最後の最後は、やっぱり強がりが口をついてしまった。

「ああ。そういう事か。
 茜さんは折角、肌が白くて綺麗なんだから、もっと、美肌対策には気をつけなくちゃダメだよ。じゃあ、行こうか?」
「だから人のファーストネームを勝手に…」

 そう口にしかけた瞬間、茜は響也に手首を捕まれた。

「へ?何?」
「取りあえず、もう無駄かもしれないけど、化粧品売場に行って、UVケアを買って」

 咄嗟に考えた言葉を、真に受けたらしい響也は、化粧品を買ってくれる気満々だが、
「…別にいいです。それよりも、露店を見て、頼まれた買い物をしましょう」
 茜はそう言い、これ以上、墓穴を掘らないうちにとばかりに、響也に背を向けて歩き出した。




←Back|Next→