意地っ張りな彼女

ギリギリという音が聞こえそうなほど、男と女は睨み合っていた。


二人の関係を知らない者が見れば、カップルが痴話喧嘩の末、お互い意見を譲り合えず、膠着状態に陥っているようにも見えたが、この二人は"恋人"というような艶っぽい間柄ではなかったし、そもそも今回の事を、"痴話喧嘩"と片付けてしまうには、かなりの御幣があった。


元々、殺人現場であるこの場所は、殺伐とした雰囲気が立ち込めていたのだが、この二人が睨み合いを始めた事でそれが増し、かえってほのぼのとした物を、周囲の人間に感じさせた。


それにはこの二人が、美男美女の取り合わせであり、加えて理想的な身長差と、二人並んで街を歩けば、似合いの姿に羨ましいと、羨望の眼差しを送る者も多いだろう、外見的な要因も大きいのだが…。─まあそれとは別の理由で、羨望のまなざしを送る者も(特に女性が)多いだろうが─


そんな"誰もが羨む"という形容が相応しいこの二人の睨み合いは、見ている者のどこかに微笑ましさを感じさせたのだ。


が。


微笑さを感じているのは、元々ここで作業をしていた捜査官達だけで、二人が睨み合いを始めた原因を知っているからでもある。しかし、現場検証をしようと、たった今ここへやって来た、この事件の担当弁護士、王泥喜 法介は、この現場に足を踏み入れようとして、異様な雰囲気に入室をためらった。



その彼の後ろを着いて来ていたみぬきは、法介がいきなり足を止めてしまった事で、「ふわぁっ!」という、間抜けな声を上げ、彼の背中に激突し、次にはぶつけた鼻をさすりながら、「もう!いきなり立ち止まらないでくださいよ!オドロキさん!!」と、抗議の声を上げた。


それに対し法介は、「ごめん。みぬきちゃん」と謝りながら、言葉を続ける。


「牙琉検事と茜さんが、まるで蛇とマングースかのように、睨み合ってるから…」
『恐くて』と、続けようとした言葉は、「え!ガリュー検事が来てるんですか!?」と、嬉しそうなみぬきの声にかき消された。


ああ!だめだ!危ないよ!と、声をかける間もなく、みぬきは法介の脇をするりとすり抜け、現場に足を踏み入れると、「ん?」とばかりに、誰に問いかけたわけでもなく、頭に浮かんだ疑問を即座に口にした。


「今日のガリュー検事、不機嫌ですね。
 もしかして今日も、いつかみたいに受難の日ですか?」


無邪気に物騒な疑問を口にしたみぬきに、本当に物怖じしない子だな。
とは内心で思うに止め、法介はそれに、誰かが答えてくれるのを待ち、


「いやぁ〜。なかなか微笑ましいだろ」
「どこが微笑ましいんですか!!」


と、入り口付近を捜査していた一人の刑事が、のんびりとした口調で答えたそれには、すかさずツッコミを入れた。


その彼のツッコミに対し、名も知らぬ刑事は、「ハハハ…」と軽く笑うと、「まあ、そういう話もあるよね」などと、手を休める事無く、のらりくらりと同意する。


その飄々とした感じがどことなく、今の成歩堂を連想させ、オレも年を取ったら、こんな風になるのかな?などと法介は漠然とした思いに駆られた。


「何があったんですか?
 もしかして、ガリュー検事が茜さんにセクハラしたとか?」


法介の心情など知らずに、みぬきがありえない上、不穏な疑問を口にする。


そして彼女のその発言に、本当にこの子の発想に伴った発言は、危険な物がある、と改めて思うと共に、思った事をすぐに口にする癖は、直した方がいいと思うんだけど、と、相変らず胸中だけで呟いて、法介は先ほどの刑事を見た。


「まあ、あの二人は放っておいていいよ。
 ここで作業をしていたら、嫌でも二人の事情は察しがつくから」
「ええ!放っておいて良いんですか?」
「というか、久し振りに会ったガリュー検事に挨拶したいんですけど。私」
「ああ、良いの、良いの。
 今のあの二人、ここのムードメーカーだし、挨拶だって後からいくらでも出来るしね」


ムードメーカーって、あの二人が?
どっからどう見ても、喧嘩してるようにしか見えないだけど。どこが?
という疑問が法介の脳裏を過ぎったが、それを口にする前に、牙琉検事と茜のやりとりが耳に入ってきた。


「刑事クン。本当にここはもう大丈夫だから、君は家に帰って安静にしてなよ!」


その牙琉の言葉は、どこか攻撃的で感情的だったが、対する茜もそれでは負けていなかった。


「嫌です!あなたに心配された上に、新しい科学器具も試せないうちに帰るなんて、まっぴらごめんです!!」
「何を意地になってるのかは知らないけど、目が潤むほどの高熱が出てるんだろ!
 足取りもおぼつかないし、そんなんじゃ、良い仕事なんて出来やしないから、今日一日、ゆっくり休んで、明日には…って話をしてるだけじゃないか!」
「コレは潤んでるんじゃないです!欠伸をしただけです!」


何の話だ?というか、バカップルの喧嘩ですか?これは。
などと、心中でささやかなツッコミを入れながら、どうやら具合が悪いらしい茜を、響也が心配しているという事情を察し、茜がそこまで意地を張る理由に対して、法介は首を傾げた。


「あの…茜さん。体調悪いんですか?」


傍らにいた刑事に法介は、確認の意味も込めて訊ねると、「風邪をひいたって言ってたな」と、手を休めずに彼は答えた。


「茜さん。素直に牙琉検事の好意を受け取ればいいのに…」
「さっき自分で言ってたろ?
 新しい科学器具を試してみたいんだとさ」
「それに茜さん。
 牙琉検事には、何かと意地を張っちゃうみたいだし、大人の女性の心理は、難しいらしいですよ。オドロキさん」


またもや核心を突きつつ、不穏な事を口にしたみぬきに、法介は半眼を向ける。


「前にも一度、同じ理由で検事と宝月君、睨み合ってた事ありましたよね」
と別の刑事が、何か証拠品らしき物を特有のビニール袋へ詰めながら、口を挟んできた。


そして法介は、口を動かしつつも、手を休めずに仕事をてきぱきとこなしていく刑事達の姿に、ここへ来た当初の目的を思い出し、慌てて自分も現場検証を始める。そうしてから、「前にもって?」と、改めてその内容を尋ねてみた。


「ああ。実はね。牙琉検事にとっては、多分ほろ苦い思い出だと思うんだけど…」
と、最初に声を掛けてくれた刑事が話し始めた。





←タイトル一覧へ|NEXT→