※ネタバレがあります。
 未クリア&未プレイの方はご注意下さい。



 ゆらりゆらゆら。


 心地良い揺れの中で、まどろみ、幼き日の記憶が蘇る。


 怖い物など何も知らなかったあの頃。
 すべての物に守られていたあの日の思い出。
 輝かしいまでの姉の笑顔。


「…………」


 呟いたその言葉に、ゆりかごの揺れが乱れた。



──…ユリカゴ



 留置所と事件現場と、参考人との面会、法人関係の依頼人の元で打ち合わせをして、最後は裁判所に顔を出し、事務所へ戻ってきたのは、退社まで後一時間という頃合だった。


 星影事務所に戻ってきた神乃木は、まず自分の名が記された、ホワイトボードの『外出』パネルを外してから、事務所の異様な雰囲気に気がついた。
 事務所の一角に、まるで芸能人でも来ているかのごとく、所員が集まっている。


 その様子に半眼を向けながら、書類整理に奔走している、学生アルバイトを一人捕まえて、神乃木は何事かを尋ねた。


「ああ…ええと。あ…綾里先生の妹さんが見えているんです」


学生は、急いでいるためか、はたまた憧れの弁護士に声をかけられたためか、すこし焦り気味にそう告げる。


「ふ〜ん。綾里の妹…ね」


 神乃木は普段のとおりに『千尋』と呼びそうになり、改めてそう告げてから、アルバイトにその姉の所在を尋ねた。


「綾里先生は、甘南備(カンナビ)先生の助手で法廷に行っていて、まだ戻ってこられないんです」

 

 神乃木は『甘南備』の名前を聞くと、眉を寄せた。
 まだ新人の千尋に、『勘』と『運』だけで法廷を渡り歩いているような、あの弁護士の助手などさせて、悪影響を受けなければ良いが。と、それを危惧しての事だ。
 そして、仕事を再開したいのか、そわそわと落ち着かないアルバイトに、時間を割いてしまった事を詫びてから、神乃木はその人だかりの仲間へと加わった。



 くりくりと好奇心に満ちた瞳。
 人見知りという言葉を知らぬほどに、人懐っこい印象。
 怖い物知らずという体で、彼女は所員達におもちゃ同然にされながら、様々な質問に答え、そして、様々な話を楽しそうに聞いていた。
 そして、「お菓子は?」、「ジュースは?」と尋ねられるたびに、嬉しそうに微笑んでは、それらを貰っていた。


───… お腹壊すぞ。


 神乃木は、彼女がお菓子やらジュースやらに半分埋もれている姿を見て、一番にそういう感想を抱いた。
 そして、「ン…ヴン!」と、わざとらしく咳払いをしてから、
「お前たち、先生やオレ達が居ない事を良いことに、こんな所で油を売っているなんて、たいそうな身分だな」
 そう告げる。


 別にそれには、威圧する意味はなかったのだが、彼の声を聞いた瞬間、そこに居た者達が恐縮する。


 そう。今日の星影事務所は、軒並みエースと呼ばれる諸先生方が外出しており、新人弁護士とパラリーガル、学生アルバイトが数名と、受付の二人が留守番をする形で、事務所で待機していた。
 まあ、所長である星影も、昼過ぎまでは事務所に居たはずなのだが、それを過ぎるとクライアントとの打ち合わせで出て、そのまま帰宅する旨を昨日の内に、所員全員へしていた。


「さあ、いつまでもサボっていないで、仕事に戻れ!」
 パンパンと手を叩きながら、神乃木がそう言えば、所員達は散り散りに自分の持ち場へ戻っていった。


「…まったく」
 溜息をつきながら、神乃木がそう言ったのを、千尋の妹は不思議そうに見つめている。
 その彼女に神乃木は視線を同じ位置にしてから、「こんにちは」と、挨拶をした。


「コンニチハ」
「ごめんね。暇なせいか、他の所員の家族が事務所へ顔を見せることも珍しいから、みんな、どう扱っていいのか分からなくて、その結果、まるで君をおもちゃのように扱ってしまった。
 オレは、神乃木というのだけど、君の名前は?」
「…マヨイ…。綾里 真宵です」
「もう少しでお姉さんが戻ってくると思うから、それまで一人でも大丈夫かい?」
「はい。大丈夫です。一人には慣れてますから…」


 そう言って微笑んだ真宵に、神乃木は何か思うところがあり悩んだ末に、彼女の横に腰を下ろすと、応接用のテーブルに書類を広げた。
 もちろん。お菓子の類は、真宵に寄せるようにして。


 その彼に不思議そうな視線を向ける真宵に、神乃木は告げる。


「…一人はやっぱり寂しいだろ。
 書類書きならここでも出来るから、お兄さんも真宵ちゃんのお姉さんの帰りを待つよ。
 ここで…」
「…あ…ありがとう…ございます。
 嬉しいです」


 緊張しているのか、そう、礼の言葉を告げた真宵は、ジュースの入ったコップに顔をうずめるようにして、残りを飲み干す。
 その彼女の頭を優しく一撫でしてから、神乃木は、書類整理の仕事を始めた。


 そして真宵は。
 その神乃木の様子を興味深そうに見つめている。


 あまりにも真剣に見つめる彼女の様子に、少し気恥ずかしさが込み上げた神乃木は、
「…どうしたの?」
 と、手を休めてから真宵に尋ねた。


「…お姉ちゃんも、神乃木さんのようなお仕事をしてるんですか?」
「ああ。そうだよ」
「その紙は、人を救うために必要な物なんですか?」
「…まあ、そうだね」


 真宵が言う、「人を救う」という書類は、多分、刑事事件に際しての物だろう。
 だから今、彼が扱っている法人─財務─関係の書類は、厳密に言ってしまえば、その部類には入らないのかもしれないが、蛇足的なそんな事は、あえて説明せずに頷いた。


「…お姉ちゃん。
 お家を出た時は、「きゃりあうーまんになって、たくさんの人を助けるんだ」って、そう言ってたんです」
「…うん」
「でも。最近は、電話で話していても、元気がないんです。
 だからお姉ちゃんに内緒で遊びに来たんですけど、怒られないですよね?」


 あの事件の後。
 千尋は法廷に立つ事を極度に恐れ、ほとんど事務所で仕事をこなし、空いた時間を見て、あの事件の洗い直しをしている。
 自分の信じた道をただひたすらに、ひたむきに歩いている彼女を、神乃木も応援し、その作業を手伝いつつ、何かの際に弱音を吐こうとすれば、叱咤激励をして、鼓舞奮闘できるようにはする。


───… しかし、それにも限界はある。


くしゃり。


神乃木は、真宵の前髪を優しく撫でてから言う。


「怒るわけないさ。
 きっと、真宵ちゃんが勇気を出して会いに来てくれた事に、すごく喜ぶよ…」


── …そして、勇気を与えられるはずだ。


 その時、事務所の扉が開き、入ってきた人物に受付が何事かを告げる。
 すると…。


「ま…真宵!」


 そう心配そうにバタバタと、千尋が応接用のテーブルにまで駆け寄ってきた。


「あ。お姉ちゃん」
「“あ”…。じゃないわよ。
 いきなり来るなんてビックリするじゃない!」
「だって、ビックリさせたかったんだもん」
「もう。
 何もなかったから良かったような物を、何かあったらどうするの!」
「…だって、お姉ちゃんが元気ないから…心配で、居ても立っても居られなくなって…」
「……ま…よい」
「…お姉ちゃんの顔が見たくなったの。
 元気よ。って言葉が本当なのかどうか、それを確かめたくて…」


千尋はその言葉を耳にすると、真宵を優しく抱きしめて、その耳元で囁く。


「…ごめんね…真宵。
 心配をかけたわね。
 でも本当に元気だから。
 だからもう二度と、こんな無茶をしないで。
 お願いよ。今度から来る時は、前もって連絡をちょうだい。
 あなたにまで何かあったら、と思うと、お姉ちゃん…」
「…うん…分かった。私もゴメンね。お姉ちゃん」


 ギュ〜っと、強く抱き合う二人を所員一同が見つめていた頃、終業のベルが鳴った。


 それを耳にした神乃木は、人差し指を折り曲げ、その第二間接で千尋のこめかみを優しく小突いてから言う。


「…何か食べて帰るか?
 二人分くらいは奢ってやるよ」


 その言葉に、千尋は「そんな!」と、顔を真っ赤にしたが、真宵は「わ〜い」と喜んで、「味噌ラーメンが食べたい」と大はしゃぎする。


「…そんな物でいいのか?」
「味噌ラーメン♪味噌ラーメン♪」
「す…すみません。この子。味噌ラーメンが本当に好きなんです」
「じゃあ、この事務所の近くに、美味しいラーメン屋があるから、そこに行くか」


 そして、千尋は遠慮しつつも真宵の手を引いて、彼の背を追いかけた。





ゆらり、ゆ〜らり。





 ラーメンを食べ終えた後、昼間、緊張していた事や、ここに来るまではしゃいでいた事、そして何より、満腹になった事で睡魔が襲ってきたのか、真宵は船を漕ぎ出した。


 そして、千尋が食べ終えた頃には、カウンターに突っ伏して、気持ち良さそうな寝息を立てていた。


 ゆらゆら。ゆらり。


 気遣わしげに揺れるそのゆりかごは、とても暖かくて気持ちが良い。
「……みません」
 不意にそう姉の声が聞こえた。


「神乃木さんには、この子の面倒も見てもらった上に、食事まで奢っていただいて、しかも…駅までおんぶまでしていただくなんて…」
「遠慮なんてするなよ」
「でも…」
「オレがしたいからするだけだ。
 何も気に病む必要はないんだよ。千尋」


─── …お姉ちゃん。
 ゴメンね。本当はお姉ちゃんが、神乃木さんに甘えたいんだよね。
 でも、今は私が借りちゃって。
 …恋とか愛とかそういうのは良く分からないけど、お姉ちゃんはこの人の事が好きなんだよね?
 だからね。私。その日が来たら、この人の事───…。



「お兄さん…」



────…。





呟いたその言葉に、ゆりかごの揺れが乱れた。


「…そう…呼びたかった…」
 涙が頬を伝った。


 幼いあの日、自分を背負い駅まで送ってくれたのは、この背中だった。


 こうしてあの頃のように、背負われて初めて、彼が誰かという事を悟り、「遅すぎた」と気がついて、悲しくなった。


 怖い物など何も知らなかったあの頃。
 すべての物に守られていたあの日の思い出。
 輝かしいまでの姉の笑顔。

────… 全てがもう二度と、自分の手には戻らない。


 いつも自分は後手後手で、そして、大切な人が遠ざかっていく。


「ゴメンなさい。ゴメンなさい。ゴメンなさい」


 彼の背中で涙ながらにそう告げたように思ったが、それは錯覚だったのだろうか。


 気がつけば自分は、穴倉のような場所で寝かされ、そして、彼の姿は消えていた。


「どうしよう」


 あの人を守りたいと思った。
 だから、この世の誰よりも、裏切ってはいけない人を、傷つけ、裏切るような事になろうとも、この嘘は通し続けようと、そう思った。


だから───。




本当に「人を守る」という事が、どういう事かと知ったのは、それから数時間後の話。



'08.02.24.UP

あとがき


これは、逆裁3(GBA版)をクリアした直後から、ずっと書きたいと思っていたお話です。
当初はもっと、ネタバレしていたのですが、それだと問題がありすぎるので、すこしフィルターをかけました。


4ばかりを書いていますが、1〜3もすごく好きなのでもっと書きたいです。
御剣が幸福に満ち足りている話を書ければ〜。と思っています。
(みっちゃんが幸せなら、ノーマルだろうとホモだろうと、何でもいいですよ。私は)


悠梛 翼



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